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林修先生の教育論について 〜林先生が驚く初耳学(2018/1/21放送)〜

僕は林修先生がとても好きで、「林先生が驚く初耳学」は特に好きな番組でビデオに録って観ています。先日「林先生の教育論スペシャル」という総集編をやっていました。

2018年1月21日の放送で、いままで反響が大きかったものをトップ10形式で10個紹介されていましたが、その中から気に入ったものをメモがてらピックアップしてます。 

小中学校の友達なんてクソみたいなもの

いじめ問題など、小中学校内の友達関係で悩んでも、将来的には大した影響はない。大人になったら年に一度会うか会わないか程度。

でも子供はそんな狭い世界が全てだと思ってしまっている。世界は広く、人生は長いストーリーであるということを親が伝えてあげることが大事なんだなと思った。

嫌ならやめなさい。勉強は贅沢なんだから

義務教育が受けられて、家計のために自ら仕事をする必要もなく、さらにお金を出して予備校や塾で勉強できるなんて「最高の贅沢」だ。

これは予備校講師らしい言葉。ただこれは親以外の人から伝えて欲しい言葉だなと思った。(親が自分の子に言うとなんか押し付けがましいかな)

大人になって勉強をしたくなるけど今度は勉強する時間がない!本当勉強って贅沢な神勢の使い方ですよね。まじ貴族。

キラキラネームと低い学力の相関

まず前提としてキラキラネームには本人にはまったく責任がない。
固有名詞(名前)の意味を親が理解していない。固有名詞は特定し指示するためのもの。ある集団を細かく区切り最終的に一意に特定するのが名前の役割あって、固有名詞自体は意味を持たない。読み方がわからず指示ができない名前というのは名前の役割を果たしていない

「個性が大事」って主張する親いるけど、変わった名前つけりゃ個性的になるってわけじゃないですよね。(ありきたりなヤンキーとかになりそう) 

ビリギャルには共感しない

中学受験を一度経験している自頭の良い子が、科目数の少ない私立大学に絞ればいける。そんなに珍しい話でも、感動する話でもない。

同感。僕もビリギャルの映画を観て最初に「あ、主人公、進学校の子なんだ」って思った。

最近の本は離乳食

最近の本は注釈いらない優しい言葉でかかれている(昔の文学作品は注釈だらけ)だし、活字の大きさも全然違くて文字数少ない。漫画版とかもう「乳」

最後のやつは笑ったw

今の東大生はスッカスカのカッスカス

昔は大学定員数よりも受験者が圧倒的には多かったが、いまは現役受験生は大学の定員数よりも少ない。受験者数が減ったのに、大学の定員数が減っていないということは、昔よりも入るための難易度が下がっている

少子化は有名な事実ですが、大学の定員もそれに合わせて減っているものだと思っていました。知らなかった・・・

社会に出たら「仕事ができるかできないか」が重要。仕事ができるようになるためには
1.「解決」2.「創造
これが出来ることが重要であって、あらゆるスキルや知識力は上記をするための手段であるでしかない。

東大に入ったら終わりではないよという意味で仰っていました。昔はどうだったか知らないけど、いまはインターネットの発展により、学歴関係なく上の2つの能力があれば稼ぐことができる時代になったと感じる部分はあるなと。(普通のサラリーマンになりたいのであれば学歴は多少関係あるのでしょうけど、これからの時代サラリーマンになれば幸せになれるわけでもないと思います)

子どもにゲームをやめさせても成績は上がらない

1日1時間なら影響なし。2時間になると悪影響。まず時間管理能力が重要

僕もゲームについてかなり制限された幼少時代を過ごしました。今振り返ると悪い影響ばかりがあったと思っています。以下の記事で書いています。

lifestyles.hatenablog.jp

ながらスマホは子供をダメにする

子供を優秀にする唯一の習慣は「子供の話を聞くこと」。スマホをいじって子供とコミュニケーションを取ることを減らしてはいけない。 

林先生が幼少期言われていた3つの言葉

  1. 「それで?(興味津々に)」→さらに話したくなる
  2. 「どうしてだと思う?」→考えられるきっかけを与える
  3. 「やっぱり修は天才だ」→嬉しくなる。もっと考えるようになる。

という流れらしいです。自分の子供にはスマフォよりも人とのコミュニケーションが楽しいってことを教えてあげたいなと思いました。

頑張っているのに成績が伸びないのは、単に量が足りない

大して頑張ってないのに自分は頑張っているって思っている考え方が進歩を妨げている。

ごもっともです。「本人的には頑張っている→他の人と比べるとそうでもない」ということが往々にしてあります。今後子供を育てていくにあたって、他人と比べる必要があることと他人と比べる必要がないことを明確に線引きしないとなぁと思いました。

小学校での小数点論争の答え

3.9 + 5.1 = 9.0 は間違いで減点する
3.9 + 5.1 = 9 が正しい。なぜなら授業でそう教えたから。

少し前に「この理論は正しいのか?」という算数論争があったそうです。

林先生が京大の数学者の教授に聞きに行ったところ「なるべく簡潔な表現としろという前提がない限り、数学の本質から考えると9.0でも9でもどちらでも良い。」という権威ある解答が返ってきました。さらに「体積の掛け算の順番(縦×横×高さ)は掛け算の順番をどう変えても減点の対象にならない」とも。

授業で教えた計算方法や答えの書き方と違うから言って、テストで減点するという行為は意味がない。意味がないどころか本質を理解せずにルールに従えということになってしまうマイナスな教育である。

日本の教育のよくない点をご指摘されており、大変共感しました。

終わりに

もともと教育とか育成とかに興味があったのですが、子供が生まれてからその辺りへの興味が加速した気がします。

林先生は「ドラマ」と「選挙」にだけは出ないと言っている。口八丁で嘘をつかない人だと思うので、政治家になることはないのだろうけど、「教育者」としてこれからも応援していきたい。