認可保育園に見事に全落ちし、一時は待機児童かと危ぶまれましたが、なんとか認証保育園に入ることができました。
認証保育園に入園が決まるまで
昨年「保育園落ちた日本死ね騒動」が起こりメディアで多く取り沙汰された際に、妻は妊娠中でした。そのニュースを見て「妊娠中から保活に入ったほうがいいのかな?」と思い、保育園のことを調べ、認証保育園に電話をかけまくり、見学・申込に行きました。
ちょうどこの頃です↓
実際2月に認可保育園全落ちが確定した後、不安な日々を2週間ほど過ごしたものの、無事に認証保育園から入れると電話が来て、ひと安心できました。
認証保育園は申込順に入れるかどうかが決まるところも多いようでした。
もし早めに活動していなかったら
・妻の育休を延長し待機児童へ
・家から自転車で20分ほどかかる駅とは反対方向の認可保育園へ申込
といったことになっていたと思います。
Twitter上での厳しい意見
2月末は保育園落ちたというツイートが散見された一方で、世の中には認可保育園だけ申し込んで、保育園入れなかったと嘆く親に対して、
・他に無認可を申し込んでなかった自分たちが悪い
・早生まれは保育園入れ辛いから、産む時期を調整すべき
・1歳で認可保育園入れるわけがない。非常識な親を持って子どもがかわいそう
・努力が足りない
・役所に文句を言うのは筋違い
と言ってくる人が、にたくさんいます。
どういう層の人が言っているのか不明ですが・・・自分が苦労したんだから、後の人達も苦労して当たり前だ、なんて考えを持った人が多いんですかね。(中学校の部活の先輩のしごきみたいですね。)
我が家は無事に認可保育園に入れましたが、できるのであれば子供が1歳になってから保育園に入れたかったです。
でも0歳で4月入園じゃないと保育園に入れるのが難しいから、選択肢が他にないから1歳に満たない段階で保育園に入れることにしました。
不満を言ってはダメなの?
「産みたいときに産んで、一緒にいたい時期まで仕事を休めて、入れたいときに保育園に入れる」そういった世の中を望んで文句・意見を言うことの何がダメなのでしょうか。
不満が出るところに課題があり、課題を解決していくことで世の中はだんだんと良くなっていく、そういうものだと思います。
病児保育のNPO法人フローレンスの代表駒崎さんも上の本の中でこう言っています。
自分は我慢できたとしても、次の誰かを苦しめる問題なら怒ろう。自分のためだけではなく、誰かのために声を上げよう。
2016年に「保育園落ちた日本死ね」騒動が起こり、メディアに大々的に取り上げされ、社会に大きなうねりが広がり、保育士の給与アップの政策につながったそうです。
みんなが辛いことを我慢していれば、社会は良くなっていくのでしょうか?
「保育園には入れず、他者に不満を言うのは筋違いだ」などという意見は「奴隷根性が染み付いてしまい、前に進むことを否定しているだけ」なのではないかと私は思います。